八幡西区黒崎・熊西地区
2009年1月19日開設
1黒崎町役場跡 2西構口門柱土台等 3興玉神 4岡田神社
5善定寺 6花尾城碑等 7JR黒崎駅 8西構口跡
9乱れ橋 10黒崎貝塚 11曲里松並木  12幸神 
 長崎街道
13一里塚 14十三塚霊園  15帆柱四国88番札所 16ニコルソン中尉碑
17一宮神社 18皇后崎公園 19西鉄皇后崎変電所 20西鉄赤煉瓦橋台
21西鉄皇后崎電停跡 22JR赤煉瓦橋台 23熊西遺跡 24山王権現
1 黒崎町役場跡

 黒崎の町は、明治22年に、鳴水村、熊手村、藤田村、前田村の4つの村が合併して遠賀郡黒崎村となり、明治30年に黒崎町、その後大正15年11月に八幡市と合併しました。この場所には、当時の町役場がありました。なお、町役場の建物は、その後も八幡市役所黒崎支所、八幡区役所黒崎出張所として昭和49年の八幡西区役所発足まで使用されていました。

2 西構口門柱土台石他
 旧黒崎小学校の校庭に黒崎宿に関する遺物等が保存されています。
@ 西構口門柱の土台石
 西構口は、明治4年(1871年)に破却されましたが、この門柱の土台石は、その際に埋められていました。そして、昭和50年代に道路工事の際に発見され、ここに移設されました。土台石の大きさは、長さ55cm、幅44cm、高さ33cmで、柱穴の直径は15cmです。
A 西構口の石
 西構口の石垣に使用されていた石の一つが記念に残されています。
B 城石村開立成就の碑
 元文3年(1738年)、黒崎駅の北側、洞海湾の浅瀬を埋め立て新田を干拓しました。工事には、遠賀、鞍手、嘉麻郡、宗像郡、粕屋郡の五つ郡からの夫役と黒崎城の石垣などを用いた為、城石の開作と云われ、完成後この地を城石村といいました。碑には、元文三年五月城石村開立成就と刻まれ、郡奉行や総奉行等の氏名も刻まれています。
C 宿場内の小川に架けられていた花崗岩製の橋石が保存されています。
西構口門柱の土台石 西構口の石
城石村開立成就の碑

橋石

3 興玉神
 永禄8年(1565年)、大宮司波多野民部直重は熊手村の人々と相談して、熊手街道の守護神として伊勢市にある猿田彦大本宮から勧請したと云われています。
 興玉神は、猿田彦大神と同じ系列の神とされており、旅の守護神として市内では、ほとんどが旧筑前領内の長崎街道沿いに祀られています。
4 岡田神社

祭神:
左殿(八所宮)
  高皇産霊神 神皇産霊神 
  玉留産霊神 生産霊神
  足産霊神 大宮売神
  事代主神 御膳神
中殿(岡田宮)
  神武天皇
右殿(熊手宮)
  大国主命 少名彦神 
  県主熊鰐命
由緒:古代この地を治めていた熊族が、洞海湾に面した菊竹ノ浜(貞元)に祖先を祀ったのが始まりとされ、岡田ノ宮と云われていました。その後、神武天皇が東征の途中に、岡田ノ宮に詣りこの地に留まったことから、この場所を熊手と云うようになりました。[古事記中巻に岡田宮の名前が記載されています。]また、神功皇后が熊手の岬(皇后崎)に到った時も、岡田ノ宮に詣った云われています。慶長10年(1605年)、黒崎築城の際に、山寺町から現在地に移り、福岡藩や黒崎宿の産土神となりました。

 境内には、元禄4年(1691年)建立の手水鉢、文政10年(1827年)建立の狛犬、万延元年(1860年)建立や享保3年(1803年)建立の石灯篭、天保8年(1837年)建立の供物台等があります。
万葉歌碑
 北九州市のことを歌った万葉集の歌碑が昭和62年に建立されています。
 柿本人麻呂
 「大君の遠のみかど、あり通ふ 島門を見れば 神代しおもほゆ」
 作者不詳
 「ほととぎす 飛旗の浦にしく 波のしばしば君を 見むよしもがも」
 作者不詳
 「天ぎらひ日方吹くらし 水くさの 岡の水門に 波立ちわたる」


黒崎十二景句碑
 黒崎出身の俳人や黒崎を訪れた俳人が、黒崎にちなんで詠んだ12枚の句をまとめた碑が昭和50年に建立されています。

三条実美歌碑
 五卿の一人である三条実美が、岡田神社を参拝した際に詠んだ歌碑が昭和43年に建立されています。
 「玉ちはふ 神し照らせば 世の中の 人のまごころ かくれやはする 」

参道 拝殿
元禄4年の手水鉢 文政10年の狛犬
万延元年の石灯篭 享保3年の石灯篭
猿田彦大神 大正12年の興玉神
天保8年の供物台 万葉歌碑
黒崎十二景句碑 三条実美の歌碑
5 善定寺
浄土真宗
本尊:
由緒:
全景 寺の裏側・境界の石垣
6 黒崎駅前の碑
 黒崎駅前のペデストリアンデッキを渡って商店街の方へ階段を降りると花尾城と黒崎祗園の碑があります。なお、花尾城の碑は、昭和59年に黒崎駅が改築されるまでは、反対側の駅前広場に設置されていました。
花尾城の碑 黒崎祗園の碑
7 黒崎駅
 黒崎駅は、明治24年2月28日九州軌道株式会社の駅として開業しました。そして、その年の4月1日に、門司から黒崎までの大蔵線が開通しています。数年前までは、JR九州の駅で3番目の利用者数を誇っていました。なお、駅舎は、現在6代目となっていますが、ホームは開業当初の姿を残しています。また、古レールを利用したホーム上屋も一部残っています。
駅舎と駅前広場 ホーム上屋
8 黒崎宿西構口跡
 黒崎駅前の「ふれあい通り」に面して、黒崎宿の西の端である西構口がありました。明治4年に破却されるまでは、通りの両側に石垣が築かれていたと云われていますが、現在は石碑が建っているだけです。
中央の通りが黒崎宿 記念碑
9 乱れ橋

 西構口跡から木屋瀬宿方面に長崎街道を進むと撥(ばち)川にあたります。そこには、乱(みだれ)橋が架かっています。
 この橋は、黒崎宿の町茶屋である脇本陣を経営していた関屋沙明が、江戸時代初期に詠んだ句の中に名前が出てきます。
ほたる飛ぶ 松のはつれや 乱れ橋

10 黒崎貝塚
 黒崎貝塚は、昭和39年下水道工事によって発見された縄文時代の貝塚跡で、当時この場所は洞海湾に面した丘陵地でした。当時は、今より気温が2〜3度高く、海面も数メートル上昇していたと考えられています。
11 曲里の松並木

 江戸幕府は、全国の街道に松や杉の木を植えましたが、長崎街道の黒崎から木屋瀬までは、松ノ木が植えられました。昭和20年代までは多くの松ノ木が残っていましたが、現在2本しか残っていません。
 また、江戸時代後期に狂歌師大田南畝(蜀山人)が書いた紀行文「小春紀行」に「松の並木をゆくゆく坂を上り下りて又坂を下りゆけば左に黒崎の内海見ゆ」と記載されている場所が、ここ曲里の松並木です。

整備された松並木 街道の碑等
残っている松並木 平成11年に倒れた松ノ木の株
12 幸神
 曲里の松並木から、さらに長崎街道を木屋瀬方面に行くと幸神があります。幸神には、沢山のわらじが奉納されています。これは、旅人がここでわらじを履き替えて旅の安全を祈ったことに由来すると云われています。
曲里の松並木を望む 全景
幸神 奉納されたわらじ
13 一里塚
 長崎街道の黒崎宿から木屋瀬宿まで間に設けられた4箇所の一里塚の一つです。この一里塚には松の木が植えられていました。なお、この場所は、長崎街道以前の古官道が、尾倉、平野、川頭、鳴水、檣山荘を経てここで合流していました。また、この道は黒崎宿の御除道にもなっていました。
14 十三塚霊園
 十三塚霊園内に、江戸時代の古墓や五輪塔が今でも大切に祀られていました。
15 帆柱四国第八十八番札所
 御手洗公園に隣接して、帆柱四国第八十八番札所があります。なお、この場所に、昭和25年6月一宮神社に合祀された大歳神社と諏訪神社が在ったとの表示がされています。
16 ニコルソン中尉碑
 第二次大戦直後の昭和22年11月12日、占領軍の米軍パイロットだったロドニー・ニコルソン中尉は、当地上空にて搭乗機の故障に気づきました。彼は、住宅地に墜落するのを避けるため、機外に脱出出来たにもかかわらず、最後まで操縦桿を離さず、近くの三菱化成の空き地に墜落して死亡しました。地元住民は、彼の人道的行為を讃え、翌昭和23年5月に供養塔を建設しました。しかし、都市再開発のため、昭和63年取り壊しを余儀なくされましたが、平成元年母里聖徳氏の鉄の彫刻で再建されました。
17 一宮神社
祭神:
(旧王子神社)
天忍穂耳命 神武天皇
(旧大歳神社)
大歳神 事代主命 建御名方神 
仲哀天皇
(旧諏訪神社)
神功皇后 応神天皇
由緒:旧王子神社は、神武天皇が日向の国より東征の途中、この地で1年間政務を行った宮地の跡に由来しています。旧大歳神社は、三代実録等にも出てくる由緒ある神社です。旧諏訪神社は、花尾城主麻生氏が信州の諏訪神社を御手洗池のほとりに分祀した神社で、昭和25年6月にこれら三社を合祀し、社号を一宮神社と改めました。

 境内には、万延元年(1860年)建立の石灯篭、天保15年(1844年)建立の鳥居、安政6年(1859年)建立の狛犬、宝暦5年(1755年)の猿田彦尊や建立年不詳の與玉神が2基あります。


 また、境内の森の中に古代祭場である磐境(いわさか)があります。これは、神を祀るため、磐石をもって築きめぐらした場所で、説明版によれば、神武天皇がこの地に滞在中、磐境を設けて天神地祗を祀った神処とされています。
全景 灯篭
鳥居 狛犬
拝殿 本殿
宝暦5年の猿田彦尊 與玉神
磐境の全景 磐境
18 皇后崎公園
 皇后崎公園は、現在花見や散策等多くの市民に利用されていますが、第二次世界大戦中は、八幡製鉄所等の工業地帯を防衛する為の高射砲陣地が、設置されていました。
散策路 花見広場
19 西鉄皇后崎変電所
 西鉄の前身である九州電気軌道は、大正3年に黒崎駅前から延長して折尾まで開業しました。この建物の建設年は不明ですが、この路線延長を行う時に建設されたと推定されています。なお、平成12年に北九州線は廃止されました。
20 西鉄赤煉瓦橋台
 割子川に架かっていた西鉄北九州線の赤煉瓦積の橋台が残っています。なお、橋は平成12年に撤去されました。
21 西鉄皇后崎電停跡
 平成12年に廃止された西鉄北九州線の皇后崎電停のあとです。
22 JR赤煉瓦橋台
 割子川沿いに洞南町への道を横断するJR鹿児島本線の橋台は、赤レンガと花崗岩で造られており、明治24年(1891年)2月28日遠賀川駅から黒崎駅まで間通した当時のものと考えられます。
23 熊西遺跡
 以前三菱化成のアパート群が建っていた場所も再開発され、跡から弥生時代から中世にかけての土器や陶磁器片が多量に発掘されました。この調査によって、熊西遺跡と名付けられました。なお、現在はショッピングセンター等が建っており、昔の姿は写真で見るだけです。
24 山王権現菊春大神
 交差点脇に山王権現菊春大神が、大切に祀られています。また、祠の横に慶応2年に建立された猿田彦大神があります。
全景 猿田彦大神 慶応2年
参考文献等
北九州の史跡探訪 昭和61年1月15日発行 北九州史跡同好会
北九州の史跡探訪 平成2年9月1日発行 北九州史跡同好会