八幡西区上津役・上の原・市瀬地区 2008年10月15日開設・2018.8.22更新 |
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1 無量寺 | 2 帆柱四国61番 | 3 帆柱四国56番 | 4 帆柱四国64番 |
5 頭山次郎正房の墓 | 6 称養寺 | 7 帆柱四国66番 | 8 熊野神社 |
9 桶淵端 | 10 帆柱四国67番 | 11 分水規約碑 | 12 帆柱四国60番 |
13 金山跡 | 14 熊野神社跡 | 15 観慈亭 | 16 熊野神社 |
17 清水ヶ池古駅水 | 18 蛭子神社 | 19 西法寺 | 20 帆柱四国55番 |
21 金山川基点標 | 22 やから様 | 23 涼天満宮 | 24 江戸時代の墓 |
25 養福寺貯水池 | 26 上津役村役場跡 | 27 割子川橋 | 28 壽量寺 |
29 鷹見神社遥拝殿 | 30 帆柱四国85番 | 31 下関要塞地帯標 | 32 帆柱四国69番 |
33 帆柱四国68番 | 34 毛屋茂一郎の墓 | 35 清瀬橋 | 36 竹尾城 |
37 一瀬城 | 38 鷹見神社 |
1 無量寺 | ||
観音堂(東光山無量寺) |
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全景 | 本堂 | |
五輪塔の火輪が2基 | 宝篋印塔の基礎石等 | |
2 帆柱新四国第61番札所 | ||
道路脇に、帆柱新四国第61番札所があります。本尊は、大日如来です。 | ||
3 帆柱新四国第56番札所 | ||
帆柱新四国第56番札所で、本尊は、地蔵菩薩です。 隣接する墓地に、昭和14年に建立された日支事変記念碑と一石五輪塔があります。 |
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4 帆柱新四国第64番札所 | ||
帆柱新四国第64番札所で、本尊は、薬師如来です。 |
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全景 | お堂 | |
宝篋印塔の笠が3基 | 市内に類例の無い石塔 | |
五輪塔の火輪等 | 祀られている自然石 | |
5 頭山次郎兵衛正房の墓 | ||
頭山次郎兵衛正房は、筑前黒田藩黒崎城の城主であった井上之房の家臣で、上々津役村の地頭でした。そして、寛永15年(1638年)島原の乱に出陣し、2月27日有馬原城で討死 しました。 墓は、称養寺にあって頭山次郎兵衛正房[弓徳院殿柏誉道樹居士]を中心に右側に母[延宝9年(1680年)に死去]、左側に家臣白石五郎左右ェ門[承応3年(1654年)の死去]の墓が並んで祀られています。 |
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全景 | 頭山次郎兵衛正房の墓 | |
母の墓 | 家臣白石五郎左右ェ門の墓 | |
6 称養寺 | ||
浄土宗 本尊:阿弥陀如来 由緒: 山門の篇額「竹林山」は、明和7年(1770年)に門司区の靜泰院の高僧となった禅僧蘭山の書によるものです。 また、境内には文久3年(1863年)に寄進された石灯篭や文政年間に造られた手水鉢があります。 |
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山門 | 本堂 | |
山門の篇額 | ||
文久3年(1863年)の石灯篭 | 文政年間の手水鉢 | |
7 帆柱新四国第66番札所 | ||
称養寺境内に、帆柱新四国第66番札所があります。本尊は、千手観世音菩薩です。 また、天保6年に建立された石仏があります。 |
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8 熊野神社 | ||
祭神 例祭 由緒 境内には、元禄13年(1700年)に建立された鳥居、慶応3年(1867年)建立の石祠、宝暦4年(1754年)建立の猿田彦大神、そして建立年不明の塞大神があります。 ※塞大神(さえのおおかみ)は、道祖神ともいわれ、村の守りや旅の安全を祈り、村の境や道の辻などに祀られていました。 また、大正8年10月に建立された大正七八年出征記念灯日清戦争の凱旋記念碑があります。 |
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全景 | 元禄13年の鳥居 | |
拝殿 | 慶応3年(1867年)の石祠 | |
猿田彦大神等 | 宝暦4年(1754年)の猿田彦大神 | |
大正七八年出征記念 | 日清戦争凱旋記念 | |
9 桶淵橋 | ||
金山川の支流、建郷川に架かる桶淵橋(おけぶちばし)は、戦前の昭和18年8月に竣工しました。 | ||
10 帆柱新四国第67番札所 | ||
桶淵橋の袂に道標があり、それをたどると帆柱新四国第67番札所があります。本尊は、弘法大師です。 | ||
全景 | お堂と道標 | |
11 桶淵下池と分水規約碑 | ||
大正5年3月に、締結した分水規約の石碑が農業用溜池の桶淵下池の余水吐けの脇に設置されています。 | ||
12 帆柱新四国第60番札所 | ||
金山川の源流近くに、帆柱新四国第60番札所があります。本尊は大日如来です。 | ||
13 金山跡 | ||
坑道内の天井から流れる水が金山川の源流になっている金山跡です。坑道内には、地蔵が祀られていますが 25年前は4体ありました。 | ||
坑口 | 坑道内部 | |
坑道内の地蔵 | 左の25年前の状況 | |
14 熊野神社鎮座跡 | ||
神功皇后が帰朝の途中、上津役駅に入った時、皇子謀反の事を聞き応神天皇を紀伊の国へ派遣するとともにこの地に祭壇を設けて紀伊国鎮座の熊野の大神を祭り応神天皇の安泰を祈りました。その後、ここに社殿を建て、神田も二十町余りあって神事も盛んであったが数度の兵火に遭って灰燼となってしまいました。そして、天正年間に竹尾城城主左衛門大夫鎮里によって8番の地へ遷座させられました。また、延宝4年(1675年)里人らによって 番の地へ遷座させられました。現在、ここには小さな祠が建てられています。 | ||
15 観慈亭 | ||
説明板によると、当山の発起者大和与市は、明治6年騙されて一揆の扇動者として捕らえられ水責め、算盤責め等言語に絶する拷問に遭いながらも、観世音菩薩を祈ってひたすら無罪が証明されることを願っていました。そのため、妻のシナは、毎晩下上津役から香月まで山道を歩いて、白岩観音に夫与市の無実の願掛けを行いました。そして、願掛け満願の日、与市の夢の中に雲に乗った勢至観音菩薩が現れ下にいる稚児たちに勝栄を与えるのを見ました。これが正夢であったのか、与市は翌日無罪放免となりました。その後、全国各地の神社仏閣を巡り、明治23年8月この地に巡拝記念碑を建て、明治27年にはお堂を建て観世音菩薩と八十八箇所の石仏を祀り観慈亭と名付けました。 | ||
全景 | 西国三十三箇所の石仏 | |
帆柱四国第54番札所 | 明治27年の銘板 | |
16 熊野神社 | ||
祭神 伊奘冉尊 事解男命 速玉男命 由緒 境内には、建立年不明の庚申天の碑や昭和3年11月建立の御大禮記念碑等があります。 |
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全景 | 拝殿 | |
庚申天 | 昭和3年の御大禮記念 | |
17 役之郷清水ヶ池古駅水 | ||
平安時代の中頃に編纂された延喜式の第28巻兵部省諸国駅伝馬条に、豊前国から筑前大宰府へ至る官道に設置された駅が記載されています。この中に、筑前19駅の一つとして駅馬15疋を常置していた「夜久(やく)の駅」の名があり、鎌倉時代から室町時代にかけて「上津役郷」と呼ばれていたこの地こそが、その場所ではないかと言われています。また、「古駅水(こえきすい)」横の古道は、江戸時代、長崎街道より上原・中間を経由して赤間へ至る「中通り」と呼ばれた内往還でした。この井戸の水は、干ばつの時にも涸れることなく古道を行き交う人や馬を潤したと云われています。また、井戸脇の地蔵菩薩には、寛延元年(1748年)に建立され、「右赤間道」、「左やまみち」と刻まれているのと、建立年不明ですが「左くらて」と刻まれたものがあります。 | ||
道路右の森の中にあります | 全景 | |
古駅水 | 前に広がる水田 | |
道しるべともなっている地蔵菩薩 | 大正2年の地名石標 | |
18 蛭子神社 | ||
祭神 由緒 境内に、享保9年(1724年)に建立された幸神尊天の碑があります。旱魃の時には、この碑を金山川まで運び雨乞いをしたと言われています。また、その横には自然石が祀られています。これは、農業に関する神で貴船社と言われています。 |
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全景 | 拝殿及び本殿 | |
享保9年の幸神尊天 | 祀られている自然石 | |
19 西法寺 | ||
浄土真宗 本尊: 由緒: |
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20 帆柱新四国第55番札所 | ||
道路脇に、帆柱新四国第55番札所となっている地蔵堂があります。本尊は、地蔵菩薩です。 | ||
21 金山川基点標 | ||
昭和6年に、竣工した地蔵橋の脇に、金山川の基点石標が建っています。 |
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22 やから様 | ||
源平合戦に敗れた平家一門の稚児を抱えた女性は、源氏の追討を逃れるため、この地を通りかかりましたが疲れ果てて道脇の谷で野宿をしていました。その時、落人を追っていた豊後国久住の伊藤兵衛尉らに、子供の泣声が聞かれたため、とうとう見つかってしまいました。そのため、女性は夜泣きする子供を助けようと自ら短刀にて命をすててかばいました。 このため、里人は、名も分からない哀れな平家の女性の冥福を祈って、祠を建てました。以後、夜泣きする幼児を治そうとこの祠に願かけをするようになり、「やから様」と呼ぶようになりました。 |
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23 涼(すずみ)天満宮 | ||
祭神:菅原道真 由緒:正式には菅原神社ですが、長崎街道に面しており、境内にあった大松の木の下で多くの旅人が休憩していたことから、いつしか涼み天満宮と呼ばれるようになりました。 また、この大松は枯れたため現在植え替えられていますが、江戸時代の正徳年間に長崎の熊部新治郎という人物が京都へ行く途中、この松の枝にお金の入った荷物を掛け休憩しました。しかし、荷物を掛けたことをすっかり忘れたまま、京都へと上ってしまいました。翌年、再びこの松の木に立ち寄ってみると、掛けた荷物はそのまま残っていました。新治郎は、神のお陰と感謝し、鳥居を寄進しました。このことから、この大松は「かね懸けの松」と呼ばれるようになりました。 境内には、天明7年(1787年)に建立された鳥居や万延元年(1860年)寄進の手水鉢があります。 |
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全景 | 拝殿 | |
かね懸けの松 | ||
天明7年の鳥居 | 万延元年の手水鉢 | |
24 江戸時代の墓 | ||
谷に面した斜面を整地して、墓地が造られています。全て、土葬ですが墓標のある墓と、土饅頭に人頭大の山石を載せているだけの、墓があります。 | ||
25 養福寺貯水池 | ||
養福寺貯水池は、昭和2年に完成した新日本製鐵八幡製鐵所の工業用水用の貯水池です。 | ||
26 上津役村役場跡 | ||
明治22年、小嶺・上上津役・下上津役・市瀬・引野・穴生の6村が合併し上津役村となり、村役場を割子川に設置しましたが、明治26年この地に移転し、その後昭和12年八幡市に編入され、八幡市上津役出張所となりました。庁舎は、昭和25年に建替えられましたが、昭和54年出張移転に伴い解体されました。現在は初代村長芳賀浩太郎の碑と記念碑が残るのみです。 | ||
27 割子川橋 | ||
割子川橋の袂に、大正12年3月に竣工した旧橋の橋柱が残されています。 | ||
28 壽量寺 | ||
日蓮宗 |
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29 鷹見神社遥拝殿 | ||
長崎街道脇に鷹見神社の遥拝殿が建っています。昔は、車も無く本宮まで遠かった為、ここから遥拝したと云われています。 | ||
30 帆柱新四国第85番札所 | ||
割子川横に、帆柱新四国第85番札所となっている割子川観音堂があります。本尊は、十一面観世音菩薩です。 | ||
31 下関要塞地帯標 | ||
帆柱新四国第85番札所の境内に、陸軍省が明治32年9月1日に設置した下関要塞地帯標があります。 | ||
32 帆柱新四国第69番札所 | ||
陣ヶ原池の北側に、帆柱新四国第69番札所となっているいぼとり地蔵さんがあります。本尊は、地蔵菩薩です。 境内に、享保7年に建立された庚申尊天があります。 |
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33 帆柱新四国第68番札所 | ||
帆柱新四国第69番札所の北西側に、帆柱新四国第68番札所があります。本尊は、観世音菩薩です。 境内に、板碑や一石五輪塔があります。 |
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本堂 | 板碑 | |
一石五輪塔 | ||
34 毛屋茂一郎一利の墓 | ||
上津役変電所の北側に、嘉永4年に亡くなった、黒田家の家臣「毛屋茂一郎一利」の墓があります。毛屋茂一郎一利は、陣屋下池東側にあった信行寺で、寺子屋を開き指導していたと云われています。 また、この墓地には江戸時代の墓がまとまってあります。 |
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35 清瀬橋 | ||
割子川に架かる清瀬橋は、昭和18年8月に竣工しています。 | ||
36 竹尾城 | ||
標高174mの山頂を中心に郭や横堀等が築かれています。市瀬谷の入口の南側に位置しています。 竹尾城のページへ |
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37 一瀬城 | ||
標高127mの山頂を中心に郭や堀切等が築かれています。市瀬谷の入口の北側に位置しています。 一瀬城のページへ |
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38 鷹見神社 | ||
祭神 伊奘冉尊 事解男命 速玉男命 由緒 慶雲2年(705年)、役小角が熊野三山の神を勧請し鷹見大権現を創祀し、遠賀川十ヶ村の鎮守として祀られました。また、鷹見(高見)神社の総本社として奥宮及び十二宮からなり、奥宮は権現山山頂にあります。また、上宮十二宮は、権現山九合目にあってその下に社僧六坊の住まい跡からなり見光山神昌寺と云われています。その後、永禄年間(1558〜1570年)に花尾城主麻生兵部太夫重兼が、中門、回廊を建立し三千石の神田を寄進したと云われています。また、大友氏の兵火にかかり社殿等焼失しましたが、元禄年間(1688年〜1703年)に再興し現在に至っていると由緒書きにあります。 一宮は、元禄2年に建立されたと石柱に刻まれていました。 二宮境内にある摂社の蛭子・白山・山神社の石祠の一つは、万延2年(1861年)に建立されたものです。 |
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最初の鳥居 | 参道 | |
元禄2年に建立の一宮 | 一宮脇の鳥居の礎石 | |
二宮への参道 | 二宮の拝殿 | |
摂社の蛭子・白山・山神社 | 万延2年の石祠 | |
三宮の全景 | 三宮に祀られている自然石 | |
参考文献等 | ||
北九州の史跡探訪 昭和61年1月15日発行 北九州史跡同好会 北九州の史跡探訪 平成2年9月1日発行 北九州史跡同好会 |