八幡東区・西区九州自然遊歩道地区 2010年1月5日開設 |
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1 下関要塞地帯標 | ||
2 祭祀遺構1 | ||
3 祭祀遺構2 | ||
4 祭祀遺構4 | ||
5 林道竣工記念碑 | ||
6 下関要塞地帯標 | ||
7 土塚 | ||
8 下関要塞地帯標 | ||
9 境界石 | ||
10 高射砲関連陣地 | ||
11 軍用道路 | ||
12 下関要塞地帯標 | ||
13 畑観音 | ||
14 尺岳山頂 | ||
15 高射砲関連陣地 | ||
16 軍用道路 | ||
17 祭祀遺構4 | ||
18 修行の滝 | ||
19 炭焼窯 | ||
20 土塚 | ||
21 祭祀遺構5 | ||
22 祭祀遺構6 | ||
23 祠跡 | ||
24 風岩 | ||
25 大岩 | ||
26 修行の滝 | ||
27 金剛院 |
1 下関要塞第二地帯標 | ||
下関要塞第二地帯標 要塞地帯法(明治32年7月15日公布法律第105号)に基づき設置されたもので、重要度順に「第一地帯」「第二地帯」「第三地帯」に区分し、写真撮影や立ち入りなどが厳しく制限されていました。 正面に「下関要塞第二地帯標」、右側に「明治○年○月○日」、左側に「第八号」、裏に「陸軍省」と刻まれています。 |
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2 祭祀遺構1 |
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権現山から九州自然遊歩道を少し下った尾根の山頂に、角礫を用いて4段ほど方形に積上げた祭壇状のものがあります。付近の尾根には、自然石を祀ったもの等があり修験道に係る祭祀遺構と思われますが、用途や造られた時代は不明です。 | ||
3 祭祀遺構2 | ||
上記祭壇状の遺構から少し下った尾根に、角礫で2段ほど積上げた長方形の基壇があり、その上に自然石を縦に設置し注連縄を飾っています。なお、祀られている自然石には、「十二村宮」と刻まれています。 |
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4 祭祀遺構3 | ||
さらに、上記基壇状の遺構から少し下った尾根に角礫で2段ほど積上げた方形の基壇があります。とりあえず、基壇としていますが、用途や造られた時代は不明です。なお、1981年当時は、周辺の木が低木であった為、見つけるに苦労しましたが現在は、落ち葉さえ気をつければ容易く見ることが出来ます。 | ||
尾根正面から | 尾根横から | |
1981年当時の写真 | 帆柱山を望む | |
5 林道竣工記念碑 | ||
市ノ瀬峠には、現在林道「市ノ瀬・奥田線」が、通っています。この道路建設にあたっては、昭和37年から41年にかけて炭鉱離職者緊急就労対策事業が充てられと竣工記念碑に刻まれています。なお、距離は、4,943mで、事業費は91,167,000円と刻まれています。 | ||
6 下関要塞第一地帯標と積石塚 |
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九州自然遊歩道から八幡西区畑の白木谷への分岐点である田床峠に、下関要塞第二地帯標と積石塚があります。 要塞地帯標の正面に「下関要塞第一地帯標」、右側に「明治32年9月1日」、左側に「第四号」、裏に「陸軍省」と刻まれています。 また、隣接して直径約5m、高さ1.5mの積石塚がありますが、用途や造られた時期等は全く不明です。 |
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7 土塚1 | ||
九州自然遊歩道の双伍分れの北、標高466mの尾根山頂に直径2m高さ60cmの土造りの塚があります。境界の目印なのか、それとも修験道に係る塚なのか不明です。 | ||
8 双伍山と下関要塞第二地帯標 | ||
九州自然遊歩道の双伍山山頂に、下関要塞第二地帯標があります。 正面に「下関要塞第二地帯標」、右側に「明治32年9月1日」、左側に「第12号」、裏に「陸軍省」と刻まれています。 |
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9 双伍山と境界石 | ||
九州自然遊歩道の双伍山は、標高507m で、山頂には「山」と「五五三」が刻まれた営林署の境界標石があります。また、山頂手前の夕日台からは麓の畑貯水池や遠賀川がよく望めます。 |
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10 高射砲関連陣地跡 | ||
九州自然遊歩道から八幡西区畑観音と八幡東区田代への分岐点である観音越の北側に隣接する音滝山、標高417mの山頂に第二次世界大戦中設けられていた高射砲第131連隊に係る陣地跡が残っています。 峠の脇に平場を整地し宿舎などが設置されていたようで、陣地は北側の尾根を整地し土堰を円形に巡らした陣地跡や塹壕跡、排水枡等が残っています。また、円形陣地の中心には円形軸を穿ったコンクリート基礎が残っていますが、現在は厚くたい積した腐葉土で見ることは出来ません。なお、弾薬庫の遺構が残っていないことから、照空灯か聴音機を設置していたのではないかと考えています。 なお、高射砲第131連隊は、昭和20年4月28日に創設された高射第4師団に属し、八幡・若松・芦屋・中間の防空を担っていました。 |
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土堰を円形に巡らした陣地跡 | ||
塹壕跡 | 排水枡 | |
11 軍用道路跡 | ||
上記高射砲陣地の築造や物資の運搬に使われた車両などを通すために、開設された軍用道路跡が音滝山頂まで残っています。現在は、登山道として活用されています。 | ||
12 観音越と下関要塞第三地帯標 | ||
九州自然遊歩道から八幡西区畑観音と八幡東区田代への分岐点である観音越に、下関要塞第三地帯標があります。 正面に「下関要塞第三地帯標」、右側に「明治32年9月1日」、左側に「第22号」、裏に「陸軍省」と刻まれています。 なお、この道は田代側に下ると境ヶ谷の国境石に繋がっており、新道が出来るまでは田代からへの畑観音へ通ずる峠道でした。 |
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13 畑観音 | ||
音滝山釈王寺 詳細:不明 寺の脇にある滝は、現在も修行に使用されています。なお、苔むした不動明王が祀られているいることから、昔は修験者が修行していたようです。 また、境内の洞窟内に湧き出る水は、眼病に効果があると云われています。 文政5年の地蔵さんが境内に祀られています。 |
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寺への入口 | 修行の滝 | |
眼病に効果がある水 | 文政5年の地蔵 | |
14 尺岳山頂 | ||
尺岳は、標高618mで山頂からは360度の展望を望まるが、特に金剛山系の景色は絶景です。また、山頂には、八幡西区畑にある尺岳神社の上宮の祠が設置されています。 | ||
15 高射砲関連陣地跡 | ||
尺岳平から福智へ向かう道の両側に第二次世界大戦中設けられていた高射砲第132連隊独立照空小隊に係る陣地跡が残っています。 尺岳平は、当時整地された広場で、南側に向かって宿舎などが設置されていたようで、陣地は南側の尾根を整地し土堰を円形に巡らした陣地跡や土堰に囲まれた長方形の窪地等が残っています。 |
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土堰を円形に巡らした陣地跡 | 土堰 | |
16 軍用道路跡 | ||
上記高射砲陣地の築造や物資の運搬に使われた車両などを通すために、開設された軍用道路跡が尺岳平まで残っています。現在も、林道及び登山道として活用されています。 | ||
17 祭祀遺構4 | ||
ケヤキ谷を登った、黒川の渓流横の平場に、人頭大の角礫で幅約90cm、長さ180cmの長方形の基壇が2基並んで築かれています。内1基の上部に、下の写真にある、染付碗の破片が載っていました。 |
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18 修行の滝 | ||
黒川の源流にあるこの滝は、天台修験道の修験者が修行していたようで、大日大聖不動明王等が祀られています。不動明王は、密教の根本尊である大日如来の化身と云われています。 なお、現在は、使用されていないようです。 |
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19 炭焼窯跡か | ||
同じく、黒川の源流横に、大規模な石積み施設があります。壁の一方に入口が開けられていることから炭焼き用の窯と考えています。 | ||
20 四方越えと土塚 | ||
畑ケヤキ谷から尺岳への登山路と金剛山、直方市竜王峡への分道の辻となっているのが四方越えです。この分れから、金剛山へ歩を進めると、途中の尾根山頂に、直径約3m高さ60cmの土造りの塚があります。境界の目印なのか、それとも修験道に係る塚なのか不明です。 | ||
21 祭祀遺構5 | ||
金剛山への尾根道の斜面に板状石で4段ほど積上げた方形の基壇があります。とりあえず、基壇としていますが、用途や造られた時代は不明です。 | ||
22 祭祀遺構6 | ||
上記遺構から尾根を登りきった山頂に、角礫や大石を用いて方形に積上げた祭壇状のものがあります。とりあえず、祭壇としていますが、用途や造られた時代は不明です。 | ||
23 祠跡 | ||
金剛山山頂から西に少し下ったところに、石祠が無残な姿で転がっています。これが、正応2年(1289年)、舞岳山の頂に祀ったのが始まりとされる舞岳神社の上宮の名残なのでしょうか。 | ||
24 風岩 | ||
金剛山の9合目辺りに風岩と言われる大岩があります。この岩は、二つに割れておりその割れ目は地中深く続いているようで、この窟に触れれば必ず大風がおこると伝えられています。 | ||
25 大岩 | ||
金剛山の7合目辺りに不動石と言われる高さ二丈(約6m)の大岩があります。この岩を穢すと崇りがあると恐れられています。 また、5合目辺りに比丘尼石と言われている大岩があります。この岩の上には足形が刻まれていると云われています。 |
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不動石か | 比丘尼石か | |
26 修行の滝 | ||
この滝は、金剛院の修行に現在も使用されています。なお、苔むした不動明王が祀られているいることから、昔は修験者が修行していたようです。 | ||
27 金剛山金剛院 | ||
本尊: 由緒:現在の本堂は、説明板によると金剛寺前住職がこの地で修行中、古くなった本堂と庫裏の建て替えをこの地の神々に約束したが、心半ばにして他界したため、義妹が故住職の神示により地主・神官・僧侶の協力を得て平成2年12月に約束を果たしたと書かれていました。また、本堂には不動明王が祀られています |
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本堂 | 不動明王 | |
参考文献等 | ||
北九州市史 近代・現代(教育・文化) 昭和61年12月10日発行 北九州市 木屋瀬町誌 昭和34年12月発行 八幡市木屋瀬公民館 |