若松区塩屋・払川・竹並・頓田地区
2005年4月6日開設
1 八剣神社 8 新法寺釘抜き地蔵
2 魚鳥池 9 頓田貯水池
3 魚鳥池の碑 10 日吉神社
4 魚鳥池神社       11 六地蔵
5 観音堂 12 島郷4・7・82番札所
6 須賀神社 -
7 若宮神社 -
1 八剣神社
祭神 日本武尊
    須賀大神
    貴船大神
    市杵島姫命
    天児屋根命
    大国主命
    稲倉魂命
    事代主命
    少彦名命
    猿田彦
 境内社
  山神神社   祭神 大山積命
               応神天皇
由緒 不詳
八幡西区本城の本宮から八剣大神を勧請して塩屋の氏神社として祀りました。慶応年間に建てられた前の社殿は、平成6年火災により焼失したため、平成8年10月に再建されました。明治5年11月村社に定められ、昭和11年神饌弊帛料供進指定を受けました。 
2 魚鳥池(ぎょちょうがいけ)
 仲哀天皇が熊襲征伐のため、神功皇后と共に筑紫の崗(おか)の水門(みなと)[現在の芦屋町]に向かった時、皇后は別の船で洞の海(洞海湾)に入ったが、払川の鵜の巣付近で干潮となり船が進まなくなりました。案内役の崗県主熊鰐(おかのあがたぬしくまわに)は、恐れ入ってすぐさま池をつくり、魚や水鳥を集めて皇后をお慰めしたと云われ、後にこの池を魚鳥池と呼び、石を組んで井戸にしました。この井戸は、どんな日照りでも枯れず、おいしい水であったため、人々は飲料水としました。また、江戸時代には、この水て゛酒が造られ、非常に味が良く遠賀郡第一と言われたいいます。また、かつてこの付近は海辺でありましたが貞亨年間(1684〜1688年)に干拓され新田となりました。
3 魚鳥池の碑
 明治35年4月に建立された魚鳥池の碑が、池の西側、水田の中に建っています。表の碑文は、日本銀行を創設し、後に総理大臣となった松方正義の筆によるものです。また、裏面には香椎宮宮司の筆により、池の由来が刻まれています。
4 魚鳥池神社
 魚鳥池の碑から北側の丘陵に、まるで碑を見守るように魚鳥池神社が鎮座しています。



祭神 神功皇后
    素戔嗚尊
     (すさのおのかみ)
    市杵島姫命
    高淤加美神
     (たかおかみのかみ)
    闇淤加美神
     (くらおかみのかみ)
    
由緒 不詳 いつの頃か、鵜巣という所よりこの地に移され魚鳥池神社と云われるようになったと伝えられています。
 また、境内には、神功皇后にまつわる御與掛の松がありましたが、元禄の頃、大風のため倒れ根株のみ残っていたと伝えています。




 本殿前に、安政4年(1857年)に建立された狛犬があります。
 そして、本殿脇に猿田彦を祀った祠がありました。
5 観音堂
 魚鳥池神社の東側に隣接して観音堂があり、境内には、寛政12年(1800年)の記念銘が彫られた石碑があります。
6 須賀神社

祭神 素戔嗚神
    稲田姫神
    
由緒 建武2年(1335年)、藤原貞綱が建立し、古来より「祇園さま」の呼び名で親しまれ、厄除け・農耕守護神として崇められています。また、夏の祇園祭は、大山笠を立てて御神幸が行われており、その起源は江戸時代の初期頃といわれています。









境内には、天保9年(1838年)銘が彫られた百度石、文久2年(1862年)銘と享和3年(1803年)銘が彫られた灯篭、そして文久3年(1863年)の寄進年が彫られた鳥居があります。 
7 若宮八幡神社
 このお宮は、頓田第二貯水池の造成工事により水没することとなったため、昭和36年貯水池西側の丘陵地に移転しましたが、移転先の丘陵もかさ上げ工事をすることになり、昭和43年現在の須賀神社境内に移転遷座しました。

祭神 神武天皇
    仁徳天皇
    由緒 社に船の形をした石が二つあり、これを舟石という。社説に両神、この舟石に乗り海上より安屋村の舳艫(ともら)という所に着き神内(しんのうち)という場所に鎮座しましたが、その後現在のの頓田貯水池内に遷座したと云われています。
8 新法寺釘抜地蔵
 島郷四国霊場の第13番札所となっている地蔵堂。
 由緒や云われは、不詳です。
 
9 頓田貯水池と大北亭
 頓田貯水池は、丘陵の谷間を土堰堤で仕切って造られたアースダムです。昭和27年(1952年)に、第一貯水池が完成、その後第二貯水池の造成等を経て昭和43年(1968年)に現在の姿が完成しました。この貯水池の特徴は、1級河川である遠賀川からポンプで揚水して蓄える、貯水のみを目的としている点です。

 大北亭は、北九州市と中国の大連市との友好都市締結3周年を記念して、1983年2月頓田貯水池の一角に立てられた中国風の休憩所です。建物は中国風の二層で八角形をしており、大連市にある有名な建物を模したものです。また、名称は、大連市と北九州市の1字ずつをとって名付けられ、黄金色に輝く屋根瓦は大連市から寄贈されたものです。

 また、頓田貯水池の景観が中国杭州市の西湖に似ていることから、近代中国芸術界の第一人者でかつ日本の書画篆刻に多大な影響を与えた後昌碩さんの銅像が日中友好のシンボルとして設置されています。 
10 日吉神社
祭神 大宮大山昨命
    大三輪大物主命
   (相殿)
    菅相公
    事代主命
由緒 寛延元年(1748年)、二島村本社より迎え祭ると言われています。













 嘉永2年(1849年)の寄進年が、彫られた灯篭と旗竿柱石があります。

 








 文化11年(1814年)の銘が、彫られた手洗鉢があります。



11 六地蔵と石祠等
 頓田貯水池の東側に隣接する丘陵に六地蔵と江戸時代の石祠や墓があります。


 @六地蔵

 A石祠
 文化15年(1818年)と天保7年(1836年)の銘が、彫られています。

 B江戸墓
 1は、寛政9年(1797年)に、亡くなった子供を弔った墓です。

 2は、享保12年(1727年)に、亡くなった方の墓です。



全景

@六地蔵

A石祠

石祠の銘

B江戸墓1

B江戸墓2
12 島郷四国4・7・82番札所
 島郷四国霊場の第4・7・82番札所となっている御堂。
 由緒や云われは、不詳です。
 境内には、宝篋印塔の基壇と思われる石がありました。
参考文献等
北九州の史跡探訪 昭和61年1月15日発行 北九州史跡同好会
北九州の史跡探訪 平成2年9月1日発行 北九州史跡同好会
増補改訂 遠賀郡誌 下巻 昭和37年9月10日発行 遠賀郡誌復刊刊行会