戸畑区天籟寺地区
2004年12月4日開設
2004年12月22日更新
1 六地蔵 7 天籟寺
2 菅原神社 8 火除・延命地蔵
3 菅公御手洗の池 9 万葉歌碑
4 天賀城跡 10 庚申塔新着
5 夜宮の大珪化木 11 くろがね線新着
6 西日本工業倶楽部 -
1 天籟寺の六地蔵
 天明8年(1788年)地元の林清次郎が、天賀城主天賀二郎三郎家行、その子熊三郎左衛門等の悲惨な最期を弔うため、六体の地蔵をつくってお参りするようになったと云われています。
 今では、子供の病気に御利益があるということで、多くの人がお参りしています。また、おしろい地蔵とも言われています。
2 菅原神社
祭神 菅原道真公、須佐之男命
    高■命、大山積命
由緒 菅原道真公が太宰権帥(だざいのごんのそち)として左遷され太宰府に赴く時、この天籟寺に一泊されたと伝えられ、公没後その遺徳を偲んで建立されました。
例祭 二月二十五日、八月二十五日、六月十四・十五日
蹄石(中の写真)

 境内に道真公が牛を御愛用されていたことにちなみ、牛の蹄(ひづめ)跡が残っている言われる石が埋め込まれています。


鳥居の製作年(右の写真)

享和2年(1802年)銘が、刻まれている鳥居
3 菅公御手洗の池
 菅原道真公が、天籟寺で一泊した時にこの池で手足を洗ったと云われている伝説の池です。また、菅公が、手足を洗った時、蛭(ひる)に術をかけたので、それ以来ここの蛭は血を吸わないと云われています。
4 天賀城跡
 菅原公園一帯に麻生氏の出城があり、天賀二郎三郎家行が城主であったが、菅原神社の東側にあった天籟寺の住職の密告により、大友氏の攻撃を受け落城。天賀一族は全滅したと云われています。現在、公園の一角に城主の墓と言われる五輪等が祀られています。
 上記の伝説については、異論もあり天賀氏は、「大友家文書録」永禄12年(1569年)10月9日の条に大友氏の軍勢によって討たれた小田村氏ではないかと言うものです。この合戦での戦死者の中に、小田村兵庫充、小田村上総守、小田村三郎の名前が記載されており、これらの史実が長い時代の変遷とともに、名前も変わり伝説になったのではないかと指摘されています。
                                     竹中岩夫著「戸畑の中世武士小田村氏について」(1980年)       
5 夜宮の大珪化木
 昭和15年10月、夜宮地区の区画整理中に6mの地下から発見されたもので、最大幅約2.2m、長さは推定40mもある日本最大級の珪化木です。現在、長さ12.9mの部分が屋外展示されています。この珪化木は、今から約3500万年前の第三紀漸新世に出来た地層に埋れていたもので、広葉樹の一種ニセホパシライシの樹の幹に、石英の成分である珪酸がしみこんで化石化したものです。 昭和32年2月に、国指定の天然記念物となっています。
6 西日本工業倶楽部

 この建物は、明治年間に鉱業を興し明治専門学校(現九州工業大学)を創立した九州実業界の元老松本健次郎が、明治42年から数年かけて、住宅と学校の迎賓館をかねて建築したもので、洋館、日本館、数棟の付属屋、庭園から構成されています。 洋館は、辰野金吾博士が主宰する辰野片岡事務所の設計で木造二階建てスレート葺の建物です。1階は石造風、2階はハーフティンバー風の外観で、内外部ともにアールヌーボー様式で造られています。戦前までは家族十数名と執事等が生活していましたが、戦後東京に移り住み、建物は進駐軍の将校宿舎に接収されていましたが、昭和27年接収解除の後、社団法人西日本工業倶楽部へ譲渡され現在に至っています。
 また、昭和47年5月、アールヌーボーの明治末期洋風建築として和洋館併設で当時のまま現存する唯一の住宅として、国指定の重要文化財となっています。

7 天籟寺
曹洞宗

由緒 不明

 境内に、宝篋印塔がありますが、隅飾突起(すみかざりとっき)は、破損しており、また紀年銘もなく造塔年次は明らかではありません。
8 火除・延命地蔵堂
帆柱新四国霊場第25番札所

本尊 地蔵菩薩

 毎年8月24日に、市の指定無形民俗文化財(昭和58年2月指定)となっている「天籟寺盆踊り」が初盆供養として踊られています。
9 万葉歌碑と夜宮公園
万葉歌碑

 この歌は、万葉集(12巻)に収められていますが、作者はわかっていません。歌の意味は、「とばたの浦に、しまりによせてはかえす波のように、しばしば君に会う、てだてがほしいものだなあ。」
という事で、奈良時代の戸畑の海岸は、飛幡の浦と呼ばれ、美しい浜辺であったことが偲ばれます。
 この碑は、昭和11年国文学者尾上紫舟の筆によるもので、もともとは当時の戸畑公会堂(現環境科学研究所)の敷地内に建てられていました。
 夜宮公園は、松林からなる丘陵地にあって、池やせせらぎなど自然に富んだ整備がされており市民の憩いの場となっています。
 また、梅、桜、花菖蒲などの名所で、花菖蒲の時期には毎年「菖蒲まつり」が開かれ、多くの人たちが訪れています。
 戦没者忠霊塔は、西南の役以来、戸畑出身戦没者の霊を慰めるため、昭和34年市民の浄財で建てられました。
10 庚申塔
 夜宮公園への登り口、天籟寺市場横に、庚申塚が他のお地蔵さんと一緒に祀られています。また、銘文の上には、○印が刻まれています。

 庚申塔
     50cm×25cm
 
11 くろがね線
 八幡製鐵所から出る大量のスラグ、炭滓等を戸畑、日明地区に埋立てるため建設された「炭滓運搬鉄道線」です。昭和2年建設に着手し、昭和5年2月に完成し、5月1日より運行を開始。現在は、戸畑の市街地を分断するかのように、線路は続いていますが、建設当時は家を避けるように田畑の中に建設されていました。
参考文献等
北九州の城  1969年  廣崎篤夫
郷土戸畑 20号  1980年 戸畑郷土研究会
戸畑市史(全) 復刻版 昭和49年7月30日 名著出版
北九州の史跡探訪 昭和61年1月15日発行 北九州史跡同好会
重要文化財旧松本家住宅修理工事報告書 昭和57年9月 社団法人西日本工業倶楽部