戸畑区浅生地区 2004年12月8日開設 2004年12月16日更新 |
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1 若山牧水の歌碑 | 5 名護屋神社 | |
2 国境石 | 6 戸畑区役所 | |
3 河と島記念碑 | 7 猿田彦大明神 | |
4 飛幡八幡宮 | − |
1 若山牧水の歌碑 | ||
「新墾のこの坂道のすそとほし 友のすがたの其処ゆ登り来」 この歌は、大正14年11月3日、歌人若山牧水が八幡東区荒生田の宿から、夫人とともに当時はまだ開墾途上の鞘ケ谷を越えて、戸畑の毛利雨一樓を訪れた時に詠んだ歌です。牧水は、北九州を大正13年3月、14年11月、昭和2年5月の3回訪れており、3回とも雨一樓を訪ねるほど二人は親しい間柄でした。 平成15年2月戸畑図書館の敷地から現在の区役所内へ移転しました。 |
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2 国境石 | ||
この国境石は、元禄15年(1702年)頃に中原地区を流れる境川の川中に建てられましたが、天保11年(1840年)大洪水で洗い倒されたため、同13年(1842年)に再建されたものです。 その後、昭和32年の境川区画整理事業の施工に際し紛失の恐れがあったため、現在の戸畑区役所に移転保存したものです。なお、筆者については、小笠原藩の祐筆西田直養、木部市左ヱ門等の説があります。 銘文筆者 複数説有り 大きさ 88cm×27×30 石 質 花崗閃緑岩 |
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從是東豊前國小倉[領] | ||
3 河と島記念石 | ||
若戸大橋の戸畑側橋脚付近にあった中の島(河と島)は、航路拡大の為、切除され昭和15年12月に消滅しました。この石は、(河と島)にあったもので、この島を記念する唯一のものとして戸畑区役所に保存されています。 | ||
4 飛幡八幡宮 | ||
祭神 神功皇后 応神天皇 比売大神息 由緒 天正年間(1573〜1592年)に枝光八幡宮を勧請し、初め汐井崎に創建されました。その後、寛文年間(1661〜1673年)にお坂(現在の鳥幡)に遷座しましたが、町の発展とともに大正9年現在地へ遷座しました。 例祭 七月十三から十五日、十月十四から十五日 その他、境内には、多くの石碑や猿田彦等が祀られています。 霊巌の碑 寛文年間に遷座した時、社殿下から現れた石で、神霊の石として霊巌の文字が刻まれ祀られています。 神餞・蕎麦耕作地碑 昔、戸畑では良質の蕎麦が作られていました。この碑、その耕作地が神餞に選ばれたのを記念して建てられたものです。 與玉神 紀年銘無し 86cm×38cm 猿田彦大神 文久二年(1862年)二月二日 石工 常吉 裏面には、庚申尊と刻まれています。 |
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霊巌の碑 | ||
神餞・蕎麦耕作地碑 | 與玉神 | |
5 名護屋神社 | ||
祭神 道祖大神 由緒 仲哀天皇が、現在新日本製鐵の戸畑工場の敷地となっている所にあった名護屋岬を航行するにあたり、その案内をおこなった神を天皇自ら祀ったことに由来すると云われています。大正9年、飛幡八幡宮と合併しこの地に遷座しました。 なお、大正2年に造られた鳥居の偏額には、「名古屋」の文字が刻まれています。 |
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6 戸畑区役所 | ||
戸畑区役所は、昭和8年の建築で鉄筋コンクリート造三階建の建物です。設計は、福岡県の営繕課によるものです。建物は、塔を中心に左右対称形に造られています。外装は、帝国ホテルの完成で昭和初期に流行したスクラッチ(引っかき傷)タイル約8万6千枚を全面的に使用しています。また、中央部のデザインは、幾何学文様の二段になった軒回りと玄関上の窓の組み合わせが背後の塔屋とともに重厚さをかもし出しているのが特徴となっています。 | ||
7 猿田彦大明神 | ||
高生中学校北側の道路に面して猿田彦大明神が祀られていました。大正12年12月の銘が刻まれており、この地区では営々と民間信仰が続いているのをうかがえる資料です。 猿田彦大明神 大正12年12月 105cm×30cm |
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参考文献等 | ||
豊前・筑前の国境石 北九州市文化財調査委員会調査報告1 1966年北九州市教育委員会 郷土戸畑 15号 1972年 戸畑郷土研究会 戸畑市史 復刻版 昭和47年7月30日発行 名著出版 北九州の史跡探訪 昭和61年1月15日発行 北九州史跡同好会 北九州市史 近代・現代・教育文化 昭和61年12月10日発行 北九州市 北九州市の建築 平成元年9月30日発行 北九州市 |