門司区部埼周辺地区
2004年10月28日開設
1 清虚像 4 梅花石
2 清虚の墓 5 御祖神社
3 部埼灯台 -
1 清虚像
 部埼(へさき)の海は、古くから急流と浅瀬の多い難所でした。過ちから友人を殺(あや)めてしまい、この悔恨から出家した清虚(せいきょ)は、諸国を廻っている途中、部埼の岬で船頭衆が不安な様子をしているのを見て、船の難儀を救うため毎晩山上で火を焚くようになりました。清虚は、托鉢して得た米の中から自分の食事を削り、余りをすべて薪を買う費用にまわしていたので、村人からは「一食坊主」とさげすまれていましたが、その熱心な姿にだんだんと慕われ応援する人々が現れてきました。その後、清虚は74才で亡くなるまで、13年間火を焚き続け、亡くなった後は村人達に引き継がれていきました。清虚の像は、昭和48年(1973年)門司の有志によって青浜の海岸に建立されました。
2 清虚の墓
 清虚は、嘉永3年12月16日(1850年)74才で亡くなり、遺骸は青浜の集落にある海を望む所に、葬られその後墓石が建てられました。また、墓に隣接して元燈台局長広幡忠隆氏の筆による「部埼火焚開基僧清虚老頌徳碑」と刻まれた碑が建てられています。

 お礼:右下の女性お二人は、墓への道が分からないでいると、大変親切に現地まで案内して頂いた白野江小学校の生徒さんです。ありがとう、ございました。
3 部埼灯台
 部埼灯台は、明治5年(1872年)九州では、伊王島(長崎県)、佐多岬(鹿児島県)についで3番目に建てられた洋式灯台で、設計は日本灯台の父といわれたイギリス人技師リチャード・ヘンリー・.ブラントンによるものです。この灯台の建設費は、幕末の攘夷戦争で、四国連合艦隊に敗戦した長州藩からの賠償金と云われています。
 灯台建物は、花崗岩を積み上げて円形とし、屋根部は鉄製のドーム状に仕上げられています。また、灯台のすぐ背後の一段高い位置に灯台職員の住居の主屋が残っています。主屋の建物は、石造り瓦葺平屋建で、2室からなり正面入口の右側の部屋にはマントルピースが設けられています。
 現在は、灯台のほかに早鞆の瀬戸の潮流状況を知らせる潮流信号電光板が設置されており、自動または無線回線による遠隔監視制御によって、運用されています。
4 梅花石(ばいかせき)
 「梅花石」は、約3億5千万年前の古生代後期にの海洋植物ヘテロクリヌス科五角海百合(ゴカクウミユリ)の化石で、その形が梅の花のような模様から「梅花石」と名付けられています。梅花石は岐阜の「菊花石」、京都の「桜石」とともに日本三大奇石のひとつとされており、学術的にも大変貴重なものであるため、青浜地域約4,500uの地層と一つ岩塊が県の天然記念物に指定されています。また、天然記念物であるため、採取は禁止されています。
5 御祖神社
祭神 高御産巣日神、天之御中主神、
    神御産巣日神、産稲昆売神、
    須佐之男神、八柱神、
    弥都波能売神、須佐昆神
由緒 不詳
例祭 九月十一日、十二日

 境内に、天明6年(1786年)に造られた鳥居があります。
 
天明6年
参考文献等
北九州市神社誌 昭和54年11月1日発行 北九州史跡同好会
北九州の史跡探訪 昭和61年1月15日発行 北九州史跡同好会
北九州の史跡探訪 平成2年9月1日発行 北九州史跡同好会
福岡県の近代化遺産 1993年 財団法人西日本文化協会