門司区和布刈地区
2004年6月18日開設[2007年2月6日更新]
1 関門海峡 9 古城砲台跡
2 和布刈神社 10 壇ノ浦合戦絵巻
3 五輪塔等 11 明石予次兵衛塔
4 海事従事者慰霊碑 12 旧ノルウェー教会
5 唐人墓 13 戒・猿猴河童塚
6 関門トンネル 14 門司関
7 門司城跡 15 一の鳥居
8 門司城の門跡 -
1 関門海峡と関門橋
 本州と九州を隔てる関門海峡は、1日に4回、ほぼ6時間おきに潮の流れが変わり、潮流は最高10ノット(時速約18.5q)を超えることもあるため、古くから海の難所とされてきました。また、海峡は現在重要な国際航路として、1日平均700隻の船が往来していますが、古くは源平合戦等歴史的にも重要な場所となっております。

 関門橋は、昭和43年(1968年)中国縦貫自動車道と九州縦貫自動車道を結ぶ高速自動車道として着工し、昭和48年(1973年)に5年7ヵ月の歳月と約300億円の総事業費をかけ開通しました。全長は、1068m で、海面からの高さは61mもあります。

 下の2枚の写真は、「めかり第2展望台」から門司港地区を望む写真で、左側は1984年撮影のものでレトロ地区整備前のものです。
2 和布刈神社
 早鞆の瀬戸を望む九州最北端の神社で、門司区で最も古い神社です。
祭神 鵜葺草葺不合命
    日子穂穂手見命
    豊玉昆売命
    阿曇磯良命
由緒 神功皇后が新羅から帰還の折に、阿曇磯良の奇魂と幸魂を速門に鎮めたのが始まりと云われています。江戸時代までは隼人(早鞆)社、または速戸社と呼ばれていました。また旧暦元旦の未明干潮時に行われる和布刈神事(県指定無形民俗文化財)は大変有名です。
石灯篭(中)
 社殿前の階段下の海岸に置かれた灯篭で、旧門司の豪商永井力五郎(ながい りきごろう)氏の寄進によって建てられました。


石灯篭(右)
 社殿前に設置された灯篭で、細川忠興の寄進によって建てられたと云われています。
石灯篭(中)
 社殿前庭に設置された灯篭で、天明三年(1783年)の建立年と小笠原家の家紋三階菱が刻まれています。

石灯篭(右)
 細川忠興寄進と云われている灯篭の笠の接合部です。
3 五輪塔と句塚
五輪塔(中)
 和布刈神社から東側、関門海峡を望む海岸の岩の上にすえられている五輪塔。水輪と火輪のみしか残っていませんでした。


句塚(右)
 また、すぐ傍に句塚とともに、五輪塔の水輪のみが同様に海岸沿いにあります。

4 五輪塔と海事従事者慰霊碑
五輪塔(中)
 和布刈神社の東側、道路を越えた和布刈公園山裾の建物跡の敷地内にひっそりと置かれていました。一基は、一石五輪塔で、もう一基は、水輪と火輪のみの五輪塔です。

海事従事者慰霊碑(右)
 この碑は、第二次世界大戦中に関門海峡及びその周辺で殉職した、約三百人に余る無縁の人々を慰霊するもので、昭和21年旧門司の真光寺境内に建立されましたが、平成12年朝な夕な海峡を眺望できるこの地に戦争の悲惨さと平和を願う為移設されました。
5 唐人墓
 関門国道トンネル人道から東側、潮見鼻の高台にあります。元治元年(1864年)、イギリス、アメリカ、フランス、オランダの「四国連合艦隊」は、長州藩の不法な攻撃に対して、下関の砲台を攻撃しました。その際、戦死したフランス軍艦セミラオ号とデュプレス号の水兵を慰霊した碑です。場所は、公園の一角ですが、訪れる人も少ないせいか、周辺は大変荒れていました。
6 関門トンネルと人道
 関門トンネルは、昭和12年(1937年)建設に着工し、約80億円の経費、延べ467万人の人々によって昭和33年(1958年)3月に開通しました。全長3,461mのうち海底部は780mで、地底最深部はマイナス約56m となっています。
 トンネルの上部は車道、下部は人道と2段に区切られた構造は、世界的にも珍しい海底トンネルとされています。人道はエレベーターで昇降でき、無料で下関側へ歩いて行けます。また最近は、手軽なジョキングコースとして多くの市民に利用されています。
7 門司城跡
 全山が原生林に覆われている標高175.2mの古城山は、都を追われた平知盛が源氏との一戦に備えて築城したと伝えられている門司城の跡で、門司関山城、亀城とも呼ばれています。その後、城主が何度か代わりましたが約400年間続き、藩主細川忠興の元和元年(1615年)、一国一城の令によって破却されました。関門海峡を望む山頂には、記念碑と歌碑が設置されています。
8 門司城の城門跡
 門司城は、平知盛が長門国目代紀井通資に築城させたのが始まりと伝えられています。鎌倉幕府は、寛元2年(1244年)、下総前司親房を平家残党鎮圧の下知奉行として豊前国の代官職に任じ、門司六ヶ郷と筑前国香椎院内などを領した。また、親房の子孫は、地名により門司氏を称し、門司城を本城に領内に足立・吉志・若王子・三角山・金山の五支城を構え、その後およそ350年にわたって北九州の地に治めた。室町時代の末、門司半島は豊後大友氏と大内氏、大内氏滅亡後は、毛利氏が争奪するところとなり、門司城はその渦中に置かれました。特に大友と毛利氏による、永禄の門司城合戦は壮絶をきわめと「後太平記」に記されています。その後も門司城は、城主が入れかわりながら続きましたが、元和元年(1615年)、約400年におよぶその歴史をとじた。
 右の各写真は、和布刈公園内に唯一残る城門跡で、石段や石垣が良く残っています。
9 古城砲台跡
古城山砲台跡
 古城山砲台は、周防灘、関門の両海面制圧を目的に明治21年2月に起工し、明治23年6月に竣工しました。現古城山公園 に24榴10門(5砲座)を設置していました。砲台座が並んでいたと思われるめかり山荘前の広場は、廃止後の観光化が著しく、当時のものは何も残されていませんが、有志が建てた石碑のみが当時を偲ばせます。


観測所跡
 山頂には観測所の跡と思われる円形のコンクリート構造物があります。また、曲がりくねった連絡通路が残っています。

倉庫
 ここの倉庫は、下関要塞地帯の各所に設置されて多くの倉庫と違い入口横の窓もなく、内部も煉瓦壁によって間仕切りされており特異なものとなっています。また、内部は狭く、奥行きは3〜4メートルほどしかなく概観の大きさとの落差が感じられます。

通路
 倉庫のある尾根を、一周する通路が設けられていますが、山下側には防御上の防塁が石垣できちんと築かれており、ここは、一体何に使用されたのでしょうか。また、江戸時代の瓦が散乱していることからこの尾根にも門司城の施設があったことが伺われます。

古城山砲台跡

観測所の跡

倉庫前の道路

倉庫の入口

倉庫の内部

通路跡
10 壇ノ浦合戦絵巻
 古城山公園から下る途中にある「めかり第2展望台」の木製テラスデッキ横に、有田焼陶板で造られた高さ3m、長さ44mの「壇ノ浦合戦絵巻」があります。原画は赤間神宮所蔵「紙本金地着色安徳天皇絵」の一部を基にしており、屋外陶板壁画としては日本一の規模を誇ります。
 なお、このデッキのすぐ下の山腹内に8の門司城城門跡があります。
11 明石与次兵衛の塔
 佐賀県名護屋城にいた豊臣秀吉は、文禄元年(1592年)母の急病を知り、急ぎ大坂城に向かいましが、途中、細川藩の船奉行明石与次兵衛の過失により大里沖の篠瀬で船が座礁しました。秀吉は危うく難をのがれましたが、与次兵衛はその責任をとって大里で切腹したといわれます。その後、豊前に入国した細川忠興は、この瀬の上に与次兵衛の霊を弔うと共に、航路安全の標識として塔を建てました。大正年間、関門海峡改良工事の際、この瀬は塔と共に取り除かれ塔は一時下関に運ばれ海中に沈められていました。その後、昭和29年海中より引き上げられ、関門海峡を望むこの地に建てられました。
12 旧ノルウェー海員教会
 明治38年(1905年)米国より来日したクリスチャン建築家W.M.ヴォーリズが、1908年(明治41年)に創立した一粒社 ヴォーリズ建築事務所が設計し昭和48年(1973年)に開設したザ・ノウェジャン・シーメンミッション ノルウェイ海員教会で、昭和57年(1982年)に北九州市優良建築物賞を受賞しています。以前は、ノルウェーやスウェーデンなどの船員の休養施設として使用されていましたが、現在は、レストランとして使用されています。
13 戒・猿猴河童塚
 巡視船基地入口の横に祀られている河童塚で、里人に捕まえられた河童が和布刈神社の宮司の前に引き出され、今後絶対に悪いことはしないと約束したことを誓ったことに由来すると云われています。
14 門司関跡と歌碑
 門司は、都と太宰府を結ぶ重要な地であったため、大化2年(646年)この地に関所「門司関」が設けられました。関所では、海峡を往来する旅人や船等を調べたり、都と太宰府を行き来する役人の世話や駅馬を置いていました。しかし武家が勢力を持つ鎌倉時代に入ると関所の役割は、門司城へと移るようになり以降は門司関は関所としてではなく地名として残りました。また、昔より、詩歌等に数多く詠まれており、右の写真は、承徳元年(1097年)、源俊頼が帰京の途中に詠んだものです。
 行き過ぐる 心はもじの関屋より
     とどめぬさへに 書きみたりけり
15 和布刈神社一の鳥居と引込線トンネル入口
 和布刈公園の入口に、巨大な和布刈神社の一の鳥居がそびえ建っています。門司関は、その鳥居の左側、木々が生い茂っている場所にあります。また、鳥居の右側には、昭和3年(1928年)田野浦に竣工した福岡食糧事務所門司政府倉庫(旧門司米穀倉庫)へ運搬する貨物専用鉄道のトンネルがあります。
参考文献等
北九州の史跡探訪 昭和61年1月15日発行 北九州史跡同好会
北九州の史跡探訪 平成2年9月1日発行 北九州史跡同好会